ついに!サビ城が陥落しましたね。早速、ネタバレ全開します~(^^ゞ
蘇定方が、サビ城進撃を遅らせてる事態に苛立つ武烈王 (ノ`Д´)ノ =3
ここでジンジュが「大将軍を呼び戻し、蘇総管を宥めては?」と進言しますが…
これに対し、カンスは「それこそ統帥権を握ろうとする蘇定方の思うつぼです」と真っ向反論。
しかし武烈王は、ジンジュに「出征軍に直ちに進撃し、百済王宮を落とすよう命じよ。万が一、明日中に蘇定方を説得出来ず進撃が遅れたら、その責任を問い、ユシンを大将の座から降ろす」と告げます。
その後、文明王妃が武烈王に「兄上を大将の座から降ろすおつもりで?」と問うてましたがー
「戦場では将帥の誤った判断が勝敗を分かつ。百済王宮を目前にしてユシンと総管の反目が深まれば、サビ城に進撃する前に唐軍と戦う事になる。私は羅唐同盟の大義が崩れるのを座視出来ぬ」と返す武烈王に、
「大将軍は三韓一統に生涯を捧げてきたお方です。戦場から呼び戻せば、失意の余り、2度と父上に忠義を尽くせぬでしょう」と訴えるチソですが…
翌日、ポンミンが「唐軍が進撃を拒む理由は一体何だ?」と蘇定方を問い詰めてましたが…
「刺客が蘇総管の命を狙った、その刺客を放ったのが百済か新羅か、明らかになるまで我が唐軍はサビ城へ進撃せぬ」と返す劉仁願。
ここで、またまた醜い言い争いに発展して雰囲気は悪くなるばかり…(´-ω-`)
しかしインムンいわく、蘇定方が出征を拒むのは他に理由がありー
今朝、唐軍陣営に白いカラスが現れ、占ってみたら蘇総管が負ける凶兆が出たからだと(-∀-`; )
これを聞き、今度はユシンが蘇定方の元へ行きますが…
蘇定方いわく、兵士らは白いカラスをケベクの怨霊だと信じているらしい。
しかし即、白いカラスを射抜くユシン。これには、蘇定方もビビっとりましたが…(´・∀・`)
更に「私は黄山ヶ原で、生きたケベクと5千の決死隊を斬ったのだ。死んだケベクの怨霊など、怖くはない。蘇総管は期日に遅れた私に軍紀将を斬れと言った。なのに、何故進撃を遅らせている?今後、羅唐軍の士気を落とし、進撃を回避しようとするなら、この弓矢でその罪を戒める。蘇総管、サビ城へ進撃するか?それとも、この弓の前で弁明を続けるか?」と決断を迫るユシン。
その頃、ウィジャ王は王子たちに羅唐軍の進撃をどう防ぐか、問うており…
プヨユンやプヨテが「城門を堅く閉ざして守るのが上策かと」と答える中ー
「ユシンと蘇定方の反目が深まっており、先制攻撃を加えれば十分に勝てると確信します」と強く訴えるプヨヒョ太子。
その後、サビ城進撃の為、羅唐軍の作戦会議が開かれておりましたがー
「所夫里ヶ原を通って進撃すれば、今日中にサビ城を落とせる」と言うユシンに対し、
「百済の虚を突くには、水路でサビ城前まで進む方がよいのでは?」と返す蘇定方。
と、そこへサムグァンから「百済軍1万が所夫里ヶ原へ進撃しています」と報告が入ります。
蘇定方は、ユシンの予測が的中した事を受け、
「新羅軍が先鋒に立て。私と唐軍は新羅軍の左右を援護する」
と笑いながら言ってましたが…(`・ω´・)ノ
660年7月12日ー。
百済軍1万は、サビ城外郭の所夫里ヶ原で羅唐軍との最後の決戦に挑み、この日の決戦で百済の兵士たちは壮烈に戦った。
だがユシンと蘇定方の率いる18万の羅唐軍に敗れ、全滅したと記録されているらしい。
ウィジャ王は、都を守るべき兵が全滅した事を受け、
「百済再興を夢見て、三韓に号令していた余が何故、かような立場に陥ったのだ」と嘆いておりましたが…
この後、プヨテに忠言され、プヨヒョ太子と共に熊津城へ避難する事に。
この報告を受け、安堵するカンスとジンジュに、
武烈王は「まだ気を緩めてはならぬ。高句麗の援軍が南下中で百済辺境の兵がまだ健在だ」と釘を刺しー、
更にジンジュに「兵士らに出征準備を整えさせよ。百済軍が戦列を整える前に、百済王を降伏させる」と告げます。
その頃、高句麗ではー
宝蔵王が「百済の存亡は風前の灯火だ。羅唐軍は百済を征服したら必ず高句麗に攻め入ってくる。どうすればいい?」とヨン・ゲソムンに問うていましたが…
「高句麗の援軍が国境を越えサビ城に向かっておるゆえ、百済を救う事でしょう」と返すヨン・ゲソムン(๑・ิω・ิ๑)
更に「百済王は援軍が着くまで持ちこたえられるか?」と問う宝蔵王に、
「百済王は民心を失ったとはいえ、かつては“海東曽子”と呼ばれ、百済再興を導いた君主です。自ら降伏し、玉璽と民を羅唐軍に奪われる敗着は打たぬはずです。ご心配なく」と返すヨン・ゲソムンでしたが…(-∀-)
しかしトチム率いる高句麗援軍は百済に到着するなり、ジンジュ率いる新羅軍にたちまち包囲されてしまいます。
そこへ武烈王が登場しー
「お前たちは平壌に帰り、高句麗大王に余の意思をしかと伝えよ。余は三韓の和平の大義に背き、戦乱に陥れた百済王ウィジャを征伐する為、出征した。高句麗が援軍を送り、百済を助けようとするなら、余は百済王を降伏させた後、高句麗へ向かい平壌を陥落させ、高句麗の大王と莫離支の罪を厳しく問う」と告げます。
この報告を受け、ユシンは「まずはサビ城を陥落させ、百済王宮を手に入れた後、百済王を降伏させる方がよいだろう」と言っていましたが…( `・ω・)
そこにサムグァンが「サビ城で、反乱が起きたとの急報です」と報告に来ます。
てかプヨテ王子は自ら王座につく為、ウィジャ王とプヨヒョ太子を熊津に送ったんですな。
絶望感に打ちひしがれるプヨユンの元に、サンヨン、チュンサンらと共にサムグァンがやって来てー ポンミンの親書を渡してましたが…
そこには
“百済王はかつて私の姉と大耶城主を斬殺し、その遺骨をサビ城の獄舎に埋め、20年間我らを苦しめた。されど新羅大王は個人的な恨みからではなく、天命と民心に背いた百済王を戒める為、出兵させた。サビ城が包囲され、百済が危うい時に息子が父親の王座を奪う破倫と反逆を犯したのだ。無駄な抵抗で、百済の兵と民をこれ以上犠牲にしようとせず降伏せよ。新羅大王は、お前と百済の民に慈悲を施して下さろう”ヾ(〃゚ω゚)ノ
てな事が書かれておりー
サンヨンとチュンサンが、プヨユンを必死に説得する中ー
サムグァンは「今夜新羅軍が城を攻撃する前までに、決断を」と迫ります。
その後、蘇定方は初めて「我が唐軍が新羅軍と一戦を交えるとしたら、果たして勝てるだろうか?」と不安を口にするんですよね。
結局、プヨユンはポンミンに降伏したようでー
これまた蘇定方がびっくりしてましたな(*´・∀・)
これを受け、ユシンは「今夜、サビ城を総攻撃し、百済王宮を陥落させる」と宣言しますが…
風月主より「唐軍がサビ城を攻撃しています」との報告が入ります(°д°|||
結果、プヨテはプヨユンがポンミンに降伏した事で、蘇定方に降伏せざる得なくなりー
ポクシンにサビ城を抜け出し、ウィジャ王を守るよう命じます。
ウィジャ王が熊津城に逃れて、たった1日で王子プヨユンがポンミンに降伏。王を称したプヨテまで唐軍に降伏し、サビ城は陥落。百済の聖王がサビ城に遷都後、123年後の事であった。
百済の王室と朝廷が降伏した後、唐軍はサビ城で無慈悲な奪略を行った。サビ城の民は唐軍の蛮行の犠牲となり、女たちは暴行を逃れようと、自ら命を絶った。
百済の輝かしい文化遺産はサビ城の陥落後、唐軍の略奪や放火で失われたと…σ(^_^;)
そこへ、ようやくユシンたちが到着しますが…
蘇定方に「何故お前は暴君を戒め、民を救うという百済征伐の大義に背き、無慈悲な略奪を行った。揮下の将帥らに略奪をやめよと命じよ!拒むなら、この手で蛮行を犯した将帥らの首を斬り軍紀と綱紀を立て直す!」と激ギレするユシンに、
「兵士らに自重するよう命じるゆえ、誤解を解いてくれ。百済王を降伏させたゆえ、戦勝を祝う宴会を開こうと思う。大将軍も参列し、場を盛り上げてくれ」と返す蘇定方。
更にユシンは「蘇総管に降伏したプヨテは王ではなく、王を称した逆徒に過ぎぬ。熊津に進撃し、百済王を降伏させるまで、宴会は控えよ」と戒めますが…(y゚ロ゚)y
その後、民の悲惨な現状を見て、涙するユシン。
そして母を亡くし、泣きじゃくっていた子供を抱き締めー
「母親の恨みを晴らしてやろう」と約束します。
そしてウィジャ王もー
ソンチュンの忠言に耳を傾けなかった事を後悔してましたね (*´・ω・)
トチュンとプヨヒョ太子に「これ以上、罪なき民を犠牲にする事は出来ぬ。これからサビ城へ行き、羅唐軍に降伏を請う」と告げるウィジャ王。
その後、サビ城に到着したウィジャ王に降伏を迫る蘇定方ですが…
ここでユシンが「私は百済王の降伏を許可せぬ。何故、蘇総管は大王陛下より先に降伏を受けようとする?大王陛下がサビ城へ到着されるまで待つのが礼儀であろう」と、待ったをかけます。
しかし蘇定方は「皇帝陛下は、三韓の和平の為に兵を出征させた後、百済王の降伏を心待ちにされている。皇帝陛下を待たせるつもりか?」と絡んでくるんですよね (。´>д<)っ彡
結局、またケンカに発展かい~?(*´・Д・)
のところへ「余は百済王ウィジャの降伏を受けに来た」と武烈王が到着しますが…
ここで、つづくです。
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いつも、ありがとうございます♪
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