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ヨン・ゲソムンより、ヤン・マンチュンの方が色んな意味で男前~(*゚▽゚)ノ
ネタバレしてます~(^^ゞ
✩7話☆彡.。
結局、ヤン・マンチュンはヨン・ゲソムンに、
あの日、生まれたのはジュンサンの息子だと認めた上で、2人の事を守ると挑みましたねo(`・ω´・+o)
一方、唐の太子イ・チ(=後の高宗)は、高句麗を滅ぼすべくー
ソリンギに状況を探らせるよう命じてましたな(。-`ω´-)
この後、ヤン・マンチュンとヨン・ゲソムンは兵を引き連れ、平壌城に凱旋します。
ここでヨン・ゲソムンがポジャン王にヤン・マンチュンを莫離支にと推すんですけど…
プ・ギウォンがこれを阻止しようとー
まずはダルギの産婆を脅して、虚偽の訴えをさせ、
更にヤン・マンチュンも帝王の運命を持ってる事を知ってて隠してたとして、ジュンサンと同じ反逆者だと訴えにでましたぞっ!ヾ(〃゚ω゚)ノ
可哀想に…
この事でジュンサンもタルギも投獄されちまうんですよね…(´-ω-`)
実はヨン・ゲソムンは、これがプ・ギウォンの計略だと気づいてたみたいでー
奴を叱責するんですよね。
でもプ・ギウォンも、
「これは忠誠心からやった事です(´^ω^`)ゞ」
なんて見苦しい言い訳しとりましたな?( ・`ω・´)
更にヨン・ゲソムンは、ヤン・マンチュンが“ジョヨン”という名を与えた事を知りー
これ以上、ジュンサンたちに関わらないよう遼東城に帰れと警告しますね。
もちろんヤン・マンチュンが引き下がるはずもなくー(ヾノ・ω・`)
この後、自ら率いる兵士と共に、
ジュンサンとタルギが処刑場に護送されるのを阻止して3人を逃がすんですな。
しかし、そこにサブグが手下と共に追いかけて来た為ー(°д°|||
ジュンサンはタルギに息子を託し、いかだで逃がすんですな。
そしてサブグたちに「腕に自信のある奴はかかってこい!」と勝負を挑んだところで~(*`ω´)ノ
ここで、つづくです。
。゚.☆≡。゚.☆≡。゚.☆≡。゚. 。゚.☆≡。゚.☆≡。゚.☆≡。゚.
✩8話☆彡.。
この後、サブグ自らジュンサンにサシの勝負を挑むんですけど…
ジュンサンは矢を受けてた為、ちと劣勢状態なところに~ヽ(´Д`;≡;´Д`)丿
背後から伏兵に斬られてしまいます(°д°|||
でもヨン・ゲソムンもジュンサンの功を忘れてなかったのね…ε-(´∀`*)
結局、殺さずに中原の高麗城へ行くよう命じるんですな。
あとタルギにも「子を助けたくば、私に従え。その子は今から私が育てる、お前は親子の縁を切れ。万が一、子と会おうとした時は、母子もろとも死ぬぞ」と強引に約束させますね(*´・ω・)
しかも名前を勝手に「ケドン」に変えられちゃってたし…(*´・ω・`)
てか
「ケドン=犬のフ○」だなんてー
いくら何でも、ひどすぎへんか?(ヾノ・ω・`)
と、ここでネタバレーション(*・д・)b
テ・ジュンサンは妻子の生死も知らぬまま、万里の長城と面する高麗城へ向かう事になった。その後、長い歳月が過ぎた。
唐ではイ・セミンの病弱な息子高宗に代わって、則天武后が実権を掌握し始めた。則天武后…彼女については後に触れるが、中国歴史上 唯一、女帝となった人物である。この時、古代史を揺るがす大事件が起きた。燦爛たる文化を誇った百済が新羅と唐の連合軍に滅ぼされたのだ。西暦660年7月ウィジャ王20年目の事であった。この事件は高麗は無論、周辺国にも大きな影響を与えた。まさにその頃の話である…
てか子役なしで、いきなりチェ・スジョンssi~の登場なんですな(笑)
そのケドン…アニ、ジョヨンは崇武大宴に出場したいとヨン・ゲソムンに頼んでたけど…
むげに断られちゃってましたね(´・д・`)
それに毎回、思う事だけど…
身分の高い人の息子って、何であないにイケてないんやろか?q(´・ω・`)p
いくら時代がら、奴婢は人間扱いされないからって…
ヨン・ナムセンも有無を言わせず、いきなりジョヨンをしばくとか~ホントひどすぎですよ…(。-`ω´-)
結局、ジョヨンは大模達であるヤン・マンチュンに推薦状を貰いに行くんですけど…
ここで「私の指名する者に勝てたら願いを聞いてやろう。だが勝てなかったら、その時は私を侮辱した罪を問うぞ」と告げられます。
この相手がコルサビウでー
結果的には、ジョヨンが勝つには勝ったんですけど…
いわゆる反則勝ちだったもんだから~(ヾノ・ω・`)
ヤン・マンチュンは「大宴に出る資格はない、失せろ!」と激昂するんですよ。
だからといってジョヨンも引く訳にはいきやせん(ヾノ・ω・`)
「私にとって実戦でした。実戦の規則は手段を選ばずに生き残る事、私には今が切実なのです。私は武将になりたいのです。数百万の随軍を破ったウルチムンドク将軍も平民出身です。私にも可能性はあるはずです」と必死に訴えるんですよね。
しかし、そこに部下が「平壌城に唐の使者が来ました」と報告に来てー
ジョヨンは、ヤン・マンチュンに「しばし下がっておれ」と告げられてしまいやす(*´•ω•`*)…
と、ここでネタバレーション(*・д・)b
百済の滅亡は高句麗の政治勢力までも変えた。唐に対し、強硬な主戦派。つまりヨン・ゲソムンらの勢力は衰え、相対的に穏健な主和派、つまり五部家の勢力が強まった。主和派の中心は、プ・ギウォンだった。ヨン・ゲソムンの元で力をつけた彼が、今や自分を育てたヨン・ゲソムンの最大の政敵になっていた。唐が使者を送った狙いは、二大勢力の分裂であった。
でも前から、そんな兆しはあったような気はするけどな…σ(・´ω・`*)
ちなみに使者は、ソリンギでしたねo(´^`)o
結局、ジョヨンはヤン・マンチュンから推薦状を貰えたみたいでー
太学に戻って来るんですけど…
ここでヨン・ゲソムンに推薦状を破られー
ジョヨンが「そんな殺生な~ヽ(´A`)ノ」てな悲痛な叫び声をあげたところで~(゚Д゚≡゚д゚)
ここで、つづくです。
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いつも、ありがとうございます♪
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